カテゴリー: 法律実務の瀬と淵

  • 離婚協議で相手を信じられないのはなぜ?養育費・面会交流を社会心理学と社会関係資本論から考える②

    養育費と面会交流を「交換条件」に感じてしまう心理

    前回記事で少し触れましたが、離婚協議で特に感情的になりやすいのが、養育費と面会交流です。

    法律上、養育費と面会交流は、交換条件ではありません。

    養育費は、子どもの生活を支えるためのものです。
    面会交流は、子どもの利益を中心に考えるものです。

    そのため、

    「養育費を払わないなら会わせない」
    「会わせてもらえないなら養育費を払わない」

    という考え方は、法律上も、子どもの利益の観点からも問題があります。

    しかし、当事者の心理としては、交換条件のように感じてしまうことがあります。

    ここで関係するのが、互酬性という考え方です。

    互酬性とは、お互いに支え合い、負担し合う関係のことです。

    夫婦生活では、家事、育児、収入、精神的支援などが、目に見えない形で交換されています。

    どちらがどれだけ負担しているかを、毎日正確に計算しているわけではありません。

    それでも生活が続くのは、「完全に同じではなくても、どこかでバランスが取れている」と感じられるからです。ちょっと疲れた時にコーヒーを淹れてあげる。これだけでずいぶん違うものです。

    ところが、離婚協議では、この互酬性の感覚が崩れます。

    「自分ばかり子どもを見ている」
    「自分ばかりお金を払っている」
    「相手だけ自由になっている」
    「養育費を払っているのに会わせてもらえない」
    「子どもに会わせているのに養育費を払わない」

    こうした不公平感が、協議をさらに難しくします。この不公平感を度外視しては、まとまりません。

    「それは法律上関係ありません」とだけ言われると、当事者の感情は置き去りになってしまいます。

    しかし、不公平感があるからといって、養育費と面会交流を単純な取引にしてよいわけでもありません。

    このバランスが難しいなぁと感じながら、ご説明をしています。

    養育費も面会交流も、最終的には子どもの生活と安心を中心に整理する必要があります。

    社会心理学の視点からいえば、まず不公平感が生まれる理由を理解する。
    そのうえで、法律の枠組みに戻し、子どもの利益を軸に再整理する。

    この二段構えを大事にしています。

    依頼者様の感情をきちんとお聞きし、そのうえで、冷静に進路を導く。

    依頼者様ごとに事情はまったく違います。ここは、AIさんに丸投げしてもなかなか難しいところです。

    だからこそ、ここにも実践知が要ります。

    子どもを親同士の伝言役にしてはいけない

    子どもがいる離婚では、子どもが父母の間に置かれやすくなります。

    しかし、子どもを親同士の伝言役、代弁者にしてはいけません。

    たとえば、次のようなやり取りです。

    「お父さん、お母さん、ひどいよね。あんな言い方しなくてもいいのにね」

    「お母さん、何か言ってた?」
    「お父さん、何か言ってた?」
    「お母さんに次の面会日を聞いておいて」
    「養育費の支払い、なんか言ってた?」
    「再婚相手のことをどう思う?知らない人と家族なんて嫌だよね」

    大人から見ると、何気ない言葉に思えるかもしれません。

    しかし、子どもにとっては、とても重い役割になることがあります。

    お子さんは、父母のどちらも大切に思っています。離婚してもお子さんにとっては大事な「お父さん」「お母さん」なのです。
    その中で、片方の親の不満や要求をもう片方に伝える役目を背負わされると、子どもは板挟みになってしまいます。

    社会関係資本論の観点から見ると、子どもは離婚後の家族ネットワークの中心に置かれやすい存在と言われています。父母の夫婦としての関係が終わった後も、親子の関係は残るからです。

    しかし、子どもを父母の唯一の橋にしてはいけません。「子はかすがい」と言いますが、それを離婚局面にまで持ち込んでしまうと、お子さんの重荷となってしまいます。

    子どもが両親の間の連絡役になると、父母の対立を一人で背負うことになります。

    小さな背中に、大人の橋脚まで背負わせてはいけません。

    必要なのは、子どもではなく、親同士、または第三者を介した安定した連絡ルートを作ることです。

    メール、連絡アプリ、弁護士、調停条項、第三者機関などを利用し、子どもが親の対立の運び屋にならないようにする必要があります。

    子どもに橋を背負わせるのではなく、大人が橋を設計し、お子さんが橋を行き来できるようにする。この視点が大切だと思っています。

    つながりは常に良いものとは限らない

    社会関係資本論というと、「人とのつながりは大切だ」という前向きな話に聞こえるかもしれません。

    もちろん、相談できる人がいること、助けてくれる人がいること、信頼できるネットワークがあることは大切です。

    しかし、つながりは常に良いものとは限りません。

    残念ですが、家族や親族との強いつながりが、かえって人を縛ることがあります。

    「こんな家の恥を外に出すわけにいかない」
    「子ども、孫のために我慢しろ」
    「夫婦のことは夫婦で解決しろ」
    「親族に迷惑をかけるな」

    このような言葉によって、DVやモラハラの被害者が相談しづらくなることがあります。

    ここでいうDVとは、配偶者やパートナーからの暴力を指します。

    身体的暴力だけでなく、精神的暴力、性的暴力、経済的支配、社会的隔離なども問題になります。

    また、モラハラとは、法律上の明確な単一概念というより、一般には、暴言、人格否定、無視、威圧、過度な監視、支配などによって、相手の尊厳を傷つける行為を指します。

    DVやモラハラがある場合、「夫婦で話し合えばよい」「信頼関係を回復すればよい」と考えるのは危険です。

    このような場面では、つながりを回復するのではなく、危険なつながりから距離を取る必要があります。

    社会関係資本には、人を支える面だけでなく、人を閉じ込める面もあります。

    これを、負の社会関係資本と呼ぶことがあります。

    家族、親族、地域、職場などの関係が、本人を守るのではなく、「逃げてはいけない」「黙っていろ」という圧力になる場合、それは負の社会関係資本として働きます。

    だからこそ、DVやモラハラのケースでは、弁護士、配偶者暴力相談支援センター、警察、家庭裁判所、行政窓口など、外部のネットワークにつながることが重要です。

    閉じた関係から外へ抜けるための橋が必要なのです。

    負の関係で動けなくなってしまった錨を、そっと外すこともまた重要です。

    私が相談をお聞きするときも、まず考えるのは、関係を整えるべきなのか、それとも切り離すべきなのか、という点です。事案によりけりです。依頼者様と一緒に航路を決めなくてはなりません。

    社会関係資本といっても、良いものも悪いものもある。そこで、社会関係資本にはどのような種類があるのか、もう少し見てみます。

    結束型社会関係資本と橋渡し型社会関係資本

    社会関係資本には、大きく分けて、結束型社会関係資本橋渡し型社会関係資本があります。

    結束型社会関係資本とは、家族、親しい友人、同じ集団の仲間など、内側の結びつきを強めるタイプのつながりです。

    夫婦、親子、親族関係は、結束型に近い関係です。

    結束型のつながりは、強い支えになります。

    家族だから助け合える。

    長年の友人関係だからこそ相談できる。
    同じ経験を共有しているから分かり合える。

    このような良い面があります。

    しかし、閉じた関係になりすぎると、問題が外から見えにくくなります。

    DV、モラハラ、経済的支配、子どもへの悪影響などがあっても、「家庭内の問題」として閉じ込められてしまうことがあります。

    一方、橋渡し型社会関係資本とは、異なる集団や外部の人々とつながる関係です。

    弁護士、家庭裁判所、調停委員、学校、行政、支援機関、カウンセラーなどとのつながりは、橋渡し型の役割を果たします。

    離婚協議では、この橋渡し型社会関係資本が重要になります。

    なぜなら、夫婦の内側だけで話し合おうとしても、すでに信頼が壊れ、言葉が攻撃として受け取られやすくなっているからです。

    外部の第三者につながることは、閉塞感のある関係を外へ開くきっかけになります。

    家族内という閉じた中で生じた対立を外に開き、制度的信頼を使って生活を再設計するための重要な手立てです。

    閉じた水路で船が動けなくなったとき、必要なのは、同じ場所で櫂を振り回すことではありません。

    外の流れにつなぐことです。

    その外の流れが、弁護士であり、家庭裁判所であり、行政であり、支援機関である場合があります。

    離婚は「関係の終了」ではなく「ネットワークの再設計」である

    離婚によって、すべての社会関係が完全に断ち切れるわけではありません。少なくとも、子どもがいる場合には、断ち切るべきでもありません。

    確かに、離婚は夫婦関係の終了を意味します。

    しかし、子どもがいる場合、すべての関係がゼロになるわけではありません。

    子ども。祖父母。
    学校。保育園。
    医療機関。
    弁護士。
    家庭裁判所。

    離婚後も、さまざまな人や制度とのつながりは残ります。

    社会関係資本論の観点から見ると、離婚は単に夫婦関係が終わる出来事ではありません。

    家族ネットワークが、橋渡し型社会関係資本をも加えて、組み替えられる出来事です。

    したがって、離婚後に必要なのは、元のように仲良くすることではありません。

    子どもを中心に、必要な情報が流れること。
    必要な費用が支払われること。
    必要な判断が遅れないこと。
    親同士の対立が子どもに直接流れ込まないこと。

    これらを実現するために、連絡方法、面会交流のルール、養育費の支払い方法、学校や医療に関する情報共有の方法を設計する必要があります。

    離婚協議とは、壊れた夫婦関係を元に戻す作業ではありません。

    離婚後の生活ネットワークを設計し直す作業です。

    ここで問われるのは、次のようなことです。

    これからの生活をどう通すか。
    子どもの日々をどう守るか。
    必要な距離を取りながら、必要な連絡だけはどう残すか。

    そのような、実践のための知恵です。

    まさに、フロネーシスの出番です。

    まとめ:信頼が壊れた後も、制度とつながりで生活は支えられる

    離婚協議が進まない理由は、法律条件が難しいからだけではありません。

    その背景には、夫婦の信頼インフラの崩壊があります。

    相手の言葉が信じられない。
    曖昧な発言が悪意に聞こえる。
    自分ばかり損をしているように感じる。
    子どもをめぐるやり取りが、親同士の対立に変わってしまう。

    こうした問題は、法律だけでは十分に説明できません。

    社会心理学や社会関係資本論の視点を入れることで、離婚協議がこじれる理由がより立体的に見えてきます。

    大切なのは、壊れた人格的信頼を、無理に元に戻そうとしないことです。

    相手をもう一度好きになる必要はありません。
    相手を完全に信じ直す必要もありません。

    必要なのは、制度的信頼を使って、生活が回る仕組みを作ることです。

    公正証書。
    調停調書。
    弁護士。
    家庭裁判所。
    連絡ルール。
    面会交流の具体化。
    養育費の支払方法。
    外部支援機関。

    これらは、他人行儀の冷たい手続ではありません。信頼が壊れた後も、子どもと生活を守るための新しい支柱ととらえていただくと良いかと思います。

    離婚は、夫婦という共同体の終わりです。

    しかし、それは人生のネットワークがすべて断ち切られることを意味しません。

    危険なつながりからは距離を取り、必要なつながりは制度で支え直す。
    子どもを対立の橋にせず、大人が新しい連絡ルートを作る。
    感情的な信頼ではなく、予測可能なルールで生活を守る。

    離婚協議をそう捉えると、それは単なる争いではなく、壊れた信頼の後に生活を再設計する作業として見えてきます。

    信頼が壊れた後にも、橋はかけ直せます。

    ただし、その橋は、昔と同じ橋ではありません。

    法律、制度、第三者、記録、連絡ルール。

    そうした材料で作る、新しい橋です。

    子どもと生活を守るためには、その橋を感情だけでなく、慎重な設計によって支えていく必要があります。

    離婚協議のただ中にいるとき、目の前には濁った水面しか見えず、何も見通せないと感じるかと思います。

    けれど、流れを見て、地図を見ながら、危ない浅瀬を避けるための目印を置くことはできます。

    法律は、そのための道具です。先人たちが積み重ねてきた制度や実務の知恵を活用しながら、依頼者様と一緒に船を進めていきたいと考えています。

    信頼が壊れた後の生活にも、進むべき航路はあります。

    その航路を見つけるための澪標を、一つずつ立てていくこと。

    離婚協議を考えるうえで、本当に必要なのは、そういう実践知なのだと思います。

  • 離婚協議で相手を信じられないのはなぜ?養育費・面会交流を社会心理学と社会関係資本論から考える①

    離婚協議が進まない理由は、財産分与や養育費の金額だけではありません。背景には、夫婦として積み重ねてきた信頼が壊れ、相手の言葉をそのまま受け取れなくなっているという問題があります。本記事では、弁護士の実務感覚を出発点に、社会心理学と社会関係資本論の視点から、離婚協議で相手を信じられなくなる理由を考えます。

    離婚の法律相談あるある

    私は、家族問題を扱うことが多いです。私の中では、専門分野の一つと言ってよいかなと思っています。実際、私の事務所での受任案件の中でも、家族問題はおそらく大きな割合を占めています。

    もちろん、簡単だから好きという意味ではありません。難しいからこそ、考え続けたい分野です。

    とはいえ、家族問題は身近で分かりやすい問題であると思われる一方で、弁護士的には非常に難しい分野であると感じています。現に、家族問題をご専門にされない先生方も多くおられると感じます。

    それはなぜか。なぜだと思われますか?

    その原因の一つは、家族問題では、相手のことを基本的に信用できない状態から相談が始まることが多いからです。

    例えば、会社同士の紛争の場合、利害対立等から激しい争いになったとしても、「相手方の会社は、どうせ判決が出ても守らないだろう」といった現象はめったに想像できませんが、家族問題の場合はそうはいきません。

    みなさま、相談者の方々は、配偶者の方と、私のもとを訪れるまでの人生に、いろいろ、いろいろなことをいろいろと抱え、いろいろな思いをされてこられます。本当にいろいろなことがあったでしょう。

    怒涛の勢いでエピソードが出てきて止まらなくなることもしょっちゅうです。

    そんなとき、どうすれば解決できるのか。その見通しが全く立たないからこそ、私のもとへと来て下さったのです。なんとかしたいと私も頭を悩ませます。今日は、その一端を書いてみたいと思います。

    離婚協議で相手を信じられなくなる理由

    離婚の話し合いでは、財産分与、養育費、親権、面会交流、婚姻費用など、法律上決めなければならないことがたくさんあります。

    多くのご相談では、ご夫婦でこうした話し合いをされたものの、まとまらず、いかんともしがたい状態になっておられます。

    そのため、弁護士の仕事としては、これらを一つずつ整理していくことになります。

    財産はいくらあるのか。
    養育費はいくらが相当か。
    面会交流はどのような形が子どもにとってよいのか。
    婚姻費用はいつから、いくら発生するのか。

    こうした問題は、法律上の枠組みを使って整理することができますし、いわゆる「相場」のようなものも見つかるかもしれません。現代では、AIさんに聞けば、たぶんそれらしい答えは返ってくるでしょう。

    しかし、離婚協議がこじれる理由は、法律上の条件だけではありません。

    むしろ、相談の現場では、条件そのもの以上に、次のような気持ちが話し合いを止めていることがあります。

    「どうせ相手は養育費を払わなくなる」
    「本当は財産を隠しているのではないか」
    「子どもに会いたいと言っているが、本当は自分への嫌がらせではないか」
    「弁護士をつけたのは、こちらを攻撃するためではないか」
    「相手の提案には、何か裏があるのではないか」

    このように、相手の言葉や行動を信じられなくなると、どれだけ合理的な提案でも疑わしく見えてしまいます。個人的には、これが現代のAIでは解決できないし、AIさんが分かってくれないポイントかなと感じていますが、この点は別稿に譲りましょう。

    つまり、離婚協議は、単なる条件交渉ではないのです。

    背景には、夫婦として積み重ねてきた信頼が崩れ、相手の言葉をそのまま受け取れなくなっているという問題があります。

    法律界隈の格言で、「法は家庭に入らず」というものがあります。これは、家族の中が円滑であれば、特に法律は口出しするものではない、という場面で言われることがあります。

    きょうだい間で、冷蔵庫のプリンを勝手に食べたからといって警察に逮捕されていては、家族としてやっていられません。お兄ちゃんに「ごめんね」と言ってカップケーキを買って許されるような家族関係であれば、法律がとやかくいう必要はないのです。

    しかし、離婚を考えているようなご関係の場合、そのような関係はとうに過ぎています。仲が良かった頃と同じようにしていては、なかなか解決ができません。

    私が感じている家族問題の難しさは、「法律があるから大丈夫。あの人もちゃんとやる」みたいに単純に考えることができないところにあります。法律学だけではいかんともしがたい、人間同士の関係性や感情が常に立ち現れていくのです。

    じゃあ。どうするか。

    私は、法律学だけでは限界があるなら、他の知見も学んでいこう。そういう結論へ至りました。

    そこで、この記事では、法律学以外の知見も取り入れ、離婚問題を、社会心理学社会関係資本論の視点から考えていきます。なぜこの二つになったかは、それぞれのところで考察します。

    もちろん私は弁護士なので、法律的な整理は行います。しかし、それだけではなく、「なぜ自分はこんなに相手を疑ってしまうのか」「なぜ普通の話し合いができないのか」という心の仕組みも含めて整理してみたいと思います。

    これは、相手を責めるための記事ではありません。

    自分を責めるための記事でもありません。

    信頼が壊れた後に、どのように生活を立て直すか。

    そのための小さな澪標として、読んでいただければと思います。

    社会関係資本論とは何か

    まず、この記事の土台になる社会関係資本論とは何ぞや、というところから説明します。

    社会関係資本論とは、人と人とのつながり、信頼、助け合い、情報共有、協力関係などが、私たちの生活や社会にどのような影響を与えるかを考える分野です。

    社会関係資本は、英語ではソーシャル・キャピタルと呼ばれます。

    「資本」とはいえ、お金や不動産のように目に見える財産ではありません。

    預金通帳にも載りませんし、登記簿にも出てきません。財産分与で評価するのも、なかなか難しそうです。

    しかし、私たちの生活は、実はこの見えない資本に大きく支えられています。

    たとえば、近所に困ったときに相談できる人がいる。何も言わなくても助けてくれる友人がいる。
    職場で分からないことを聞ける同僚がいる。
    家族の中で、言わなくても分かってくれることがある。
    約束をすれば、相手はきちんと守ってくれると思える。

    こうした信頼やつながりがあると、生活はなめらかに動きます。友達とランチに行く約束を、いちいち疑いません。

    反対に、信頼が失われると、同じことをするにも多くの確認や証拠が必要になります。

    夫婦関係も同じです。

    結婚生活では、毎日のように細かな協力が行われています。

    「今日は子どもの迎えをお願い」
    「今月の支払いは先に出しておいて」
    「あとで振り込んでおく」
    「仕事が忙しいから、家事を少し代わってほしい」

    こうしたやり取りは、毎回契約書を作っているわけではありません。

    それでも生活が回るのは、「相手は約束を守るだろう」「家族のことを考えてくれるだろう」という信頼があるからです。

    夫婦とは、法律上の関係であると同時に、信頼、役割分担、情報共有、助け合いによって成り立つ小さな共同体でもあります。

    だからこそ、離婚協議では、法律的に考えるだけではなかなか進まないのです。

    離婚協議は「信頼が壊れた後」の話し合いである

    離婚協議が難しいのは、話し合いを始める時点で、すでに夫婦間の信頼が大きく傷ついていることが多いからです。

    夫婦関係が安定しているときには、相手の言葉を好意的に受け止めることができます。

    たとえば、相手から連絡が遅れても、

    「忙しかったのだろう」
    「悪気はなかったのだろう」
    「あとで説明してくれるだろう」

    と思えるかもしれません。

    しかし、離婚協議の段階では、この前提が崩れています。

    同じ言葉でも、信頼があるときと、信頼が壊れた後では、まったく違って聞こえます。

    たとえば、相手が「子どもの予定を教えてほしい」と言ったとします。

    信頼が残っていれば、

    「子どものことが心配なのかな」

    と受け止められるかもしれません。

    しかし、信頼が壊れていると、

    「こちらを監視しようとしている」
    「面会交流を有利に進める材料にしたいのではないか」
    「こちらの生活に口出しするつもりではないか」

    と感じてしまうことがあります。

    相手の言葉そのものよりも、これまでの関係の積み重ねが、その言葉の聞こえ方を変えてしまうのです。

    これは、当事者がわざと悪く受け取っている、という話では決してありません。

    人は、相手との関係性の中で言葉を受け取ります。

    同じ「大丈夫?」という言葉でも、信頼している人から言われれば気遣いに聞こえます。
    しかし、何度も傷つけられてきた相手から言われれば、皮肉や監視に聞こえることがあります。

    言葉は、辞書の中では中立でも、関係性の中で意味が大きく変わります。

    離婚協議とは、壊れていない関係の中で冷静に条件を整える作業ではありません。

    むしろ、信頼が傷つき、相手の言葉を疑いやすくなっている状態で、それでも財産、生活費、子どものことを決めなければならない話し合いです。

    だからこそ、離婚協議は難しいのです。

    信頼には「人格的信頼」と「制度的信頼」がある

    そんなとき、社会心理学の知見から得たことで離婚協議を考えるうえで大事だと思ったことは、信頼は一種類ではない、ということです。

    これは依頼者様にもご説明することなので、読者の方も少しお付き合い下さい。

    ここでは、分かりやすく、信頼を2つに分けて考えてみます。

    1つ目は、人格的信頼です。

    人格的信頼とは、「この人なら大丈夫だろう」「この人は裏切らないだろう」という、その人自身に対する信頼です。

    夫婦関係の中で働いていたのは、多くの場合、この人格的信頼です。

    「夫は最終的には家族のことを考えてくれているはず。だから残業帰りで家事をしなくても仕方ない」
    「妻は子どものことを一番に考えているはず。だから、あんなにきつく怒ったのだろう」

    このように思えるのは、相手の人格やこれまでの関係に対する信頼があるからです。

    しかし、離婚協議の場面では、この人格的信頼が大きく傷ついていることが少なくありません。

    「もう相手を信じられない。どうせ口約束なんて破られる」
    「何を言われても、裏があるに決まっている」
    「約束しても守られると思えない」

    このような状態で、昔と同じように「信じ合って話し合いましょう」と言っても、うまくいかないことが多いのです。

    そこで必要になるのが、2つ目の制度的信頼です。

    制度的信頼とは、相手の人柄そのものを信じるのではなく、制度やルールがあることによって、一定の予測可能性を確保する信頼です。

    たとえば、次のようなものです。

    公正証書を作る。
    調停調書にする。
    養育費の支払日と金額を明確にする。
    面会交流の方法を具体的に決める。
    弁護士を通じて連絡する。
    家庭裁判所の調停を利用する。

    これらは、相手を完全に信じられない状態でも、生活や子どもの利益を守るための仕組みです。

    離婚協議における書面化や調停は、冷たい手続のように見えるかもしれません。ましてや、弁護士が出てくるなんて、いかにも他人行儀のように感じるかもしれません。

    しかし、社会心理学の視点から見ると、これらは、失われた人格的信頼を制度的信頼で補う作業です。

    「あなたを信じていないから攻撃する」のではありません。

    「信頼だけでは支えきれないから、ルールで生活を守る」のです。

    ここは、離婚協議を考えるうえで大きな転換点です。

    相手をもう一度信じられるようになることが、必ずしもゴールではありません。

    信じられない状態でも、子どもの生活費が支払われる。
    信じられない状態でも、面会交流の連絡方法が決まっている。
    信じられない状態でも、財産資料が確認できる。

    このように、制度によって予測可能性を作ることが、離婚後の生活を支える足場になります。

    感情の泥沼に落ちることなく、制度で橋を架ける。

    少し味気ない橋かもしれません。けれど、渡れる橋であることが大切です。

    相手の言葉がすべて悪意に聞こえる理由

    上で少し書きましたが、離婚協議では、相手の言葉が過剰に攻撃的に聞こえることがあります。

    これは、単に自分の性格が悪いからでも、相手を憎みすぎているからでもありません。

    社会心理学には、敵対的帰属バイアスという考え方があります。

    敵対的帰属バイアスとは、相手の曖昧な言動を、敵意や悪意によるものだと解釈しやすくなる心の傾向です。

    たとえば、財産分与のために「預金通帳を見せてほしい」と言われたとします。

    冷静に考えれば、財産分与のためには資料確認が必要です。

    しかし、不信が強い状態では、

    「隠し財産を疑っているのか。自分を信じられないのか」
    「こちらを攻撃する準備をしているのか。生活費まで奪うつもりなのか」
    「自分だけ悪者にしようとしているのか。向こうはろくに開示しないくせに」

    などと受け止めてしまうことがあります。

    また、面会交流について「子どもの予定を確認したい」と言われた場合も同じです。

    本来は日程調整のための確認かもしれません。

    しかし、不信があると、

    「監視されている。離婚後まで苦しめるつもりか」
    「子どもを連れ去ってしまうのではないか。先回りするつもりではないのか」
    「どうせ一方的に自分の都合だけで予定を決めてしまうに違いない」

    と感じられることがあります。よくご相談でも心配の声が寄せられます。

    同じ言葉でも、信頼がある関係では確認になります。しかし、信頼が壊れた関係では攻撃に感じてしまうのです。

    ここに、離婚協議特有の難しさがあります。お互いが不信感を持ってしまうので、話し合いが進まなくなってしまうのです。

    だからこそ、ここに弁護士、調停委員、家庭裁判所などの第三者が間に入る意味があります。

    第三者が入ることで、当事者の感情的な言葉を、法的・手続的な言葉に翻訳できるのです。

    「疑っている」ではなく、「財産分与のために必要な資料を確認する」。
    「子どもを奪おうとしている」ではなく、「面会交流の条件を整理する」。
    「お金を取ろうとしている」ではなく、「養育費の算定に必要な収入資料を確認する」。

    こうして、感情の言葉を手続の言葉に置き換えることが、協議を進めるための大切な一歩になります。

    弁護士は、調停委員のような中立の第三者ではありません。依頼者様の立場に立ちながら、感情的な対立を法的・手続的な言葉に整理する存在です。その点も、ご安心いただける要素かなと思っています。

    もちろん、感情を消し去る必要はありません。

    怒りも、不安も、悔しさも、そこに至るだけの事情があることが多いからです。その感情を消して話し合いをすることは不可能ですし、感情を消すべきであるとも思いません。

    必要なのは、感情をなかったことにすることではなく、感情と手続を分けることです。

    この分け目に、弁護士が立ち、家庭裁判所の手続を利用する意味があります。

    社会関係資本が失われると、交渉コストが上がる

    信頼がある関係では、物事は少ない言葉で進みます。

    「ごめん遅れそう」
    「わかった」

    これで済むこともあります。

    しかし、信頼が壊れた関係では、そうはいきません。

    養育費であれば、金額、支払日、支払方法、いつまで支払うのか、進学費用はどうするのか、医療費はどうするのか、支払いが遅れた場合はどうするのかまで決める必要があります。

    財産分与であれば、預貯金、保険、不動産、退職金、株式、借金などを資料で確認する必要があります。

    面会交流であれば、頻度、時間、場所、受け渡し方法、連絡手段、子どもの体調不良時の対応まで決めておくこともあります。

    私が担当した事件では、「公園で遊ばせる時間は2時間か、3時間か。途中で子どもが『喉が渇いた』と言った場合には、自動販売機で飲み物を買い与えてよいか。その場合には水のみか、ジュースもよいか。お菓子はどうするか」を条項にしたことがあります。そのうえで、面会交流が適切に実施されたかどうかを、私が立ち会って2時間半公園でずっと見守っていた、ということがありました。

    これは、たしかに面倒です。正直にいえば、かなり面倒です。
    細かいです。

    相手方の弁護士からも「ここまで決めるんですか」と言われたこともあります。その感想もわからなくはありません。

    人によっては、こんなに決めるのか、とため息が出るかもしれません。

    しかし、社会関係資本が失われた関係では、こうした確認作業が必要になります。

    信頼があれば省略できたことを、省略できなくなる。

    それが、離婚協議における交渉コストの増加です。

    交渉コストとは、話し合いを進めるために必要な時間、労力、費用、心理的負担のことです。

    離婚協議が長引くのは、当事者が難癖をつけているのではありません。上記のバイアスの話もご参照ください。

    失われた信頼を制度で補うために、多くの確認作業が必要になるからです。

    ただし、こんなに細かく決めたとしても、面会交流が何度も平穏に実施されるのであれば、人格的信頼も少しずつ回復していくものです。

    私は、信頼の水路をもう一度通すための、最初の掘削作業をお手伝いしているのだと思っています。

    今回は、離婚協議において、難しいと感じていることとその対応について、社会心理学や社会資本関係論の知恵を借りながら分析してみました。

    次回は、この続きとして、特にお子さんがいるときに考えるべきことについて書いていきたいと思います。