離婚協議で相手を信じられないのはなぜ?養育費・面会交流を社会心理学と社会関係資本論から考える②

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養育費と面会交流を「交換条件」に感じてしまう心理

前回記事で少し触れましたが、離婚協議で特に感情的になりやすいのが、養育費と面会交流です。

法律上、養育費と面会交流は、交換条件ではありません。

養育費は、子どもの生活を支えるためのものです。
面会交流は、子どもの利益を中心に考えるものです。

そのため、

「養育費を払わないなら会わせない」
「会わせてもらえないなら養育費を払わない」

という考え方は、法律上も、子どもの利益の観点からも問題があります。

しかし、当事者の心理としては、交換条件のように感じてしまうことがあります。

ここで関係するのが、互酬性という考え方です。

互酬性とは、お互いに支え合い、負担し合う関係のことです。

夫婦生活では、家事、育児、収入、精神的支援などが、目に見えない形で交換されています。

どちらがどれだけ負担しているかを、毎日正確に計算しているわけではありません。

それでも生活が続くのは、「完全に同じではなくても、どこかでバランスが取れている」と感じられるからです。ちょっと疲れた時にコーヒーを淹れてあげる。これだけでずいぶん違うものです。

ところが、離婚協議では、この互酬性の感覚が崩れます。

「自分ばかり子どもを見ている」
「自分ばかりお金を払っている」
「相手だけ自由になっている」
「養育費を払っているのに会わせてもらえない」
「子どもに会わせているのに養育費を払わない」

こうした不公平感が、協議をさらに難しくします。この不公平感を度外視しては、まとまりません。

「それは法律上関係ありません」とだけ言われると、当事者の感情は置き去りになってしまいます。

しかし、不公平感があるからといって、養育費と面会交流を単純な取引にしてよいわけでもありません。

このバランスが難しいなぁと感じながら、ご説明をしています。

養育費も面会交流も、最終的には子どもの生活と安心を中心に整理する必要があります。

社会心理学の視点からいえば、まず不公平感が生まれる理由を理解する。
そのうえで、法律の枠組みに戻し、子どもの利益を軸に再整理する。

この二段構えを大事にしています。

依頼者様の感情をきちんとお聞きし、そのうえで、冷静に進路を導く。

依頼者様ごとに事情はまったく違います。ここは、AIさんに丸投げしてもなかなか難しいところです。

だからこそ、ここにも実践知が要ります。

子どもを親同士の伝言役にしてはいけない

子どもがいる離婚では、子どもが父母の間に置かれやすくなります。

しかし、子どもを親同士の伝言役、代弁者にしてはいけません。

たとえば、次のようなやり取りです。

「お父さん、お母さん、ひどいよね。あんな言い方しなくてもいいのにね」

「お母さん、何か言ってた?」
「お父さん、何か言ってた?」
「お母さんに次の面会日を聞いておいて」
「養育費の支払い、なんか言ってた?」
「再婚相手のことをどう思う?知らない人と家族なんて嫌だよね」

大人から見ると、何気ない言葉に思えるかもしれません。

しかし、子どもにとっては、とても重い役割になることがあります。

お子さんは、父母のどちらも大切に思っています。離婚してもお子さんにとっては大事な「お父さん」「お母さん」なのです。
その中で、片方の親の不満や要求をもう片方に伝える役目を背負わされると、子どもは板挟みになってしまいます。

社会関係資本論の観点から見ると、子どもは離婚後の家族ネットワークの中心に置かれやすい存在と言われています。父母の夫婦としての関係が終わった後も、親子の関係は残るからです。

しかし、子どもを父母の唯一の橋にしてはいけません。「子はかすがい」と言いますが、それを離婚局面にまで持ち込んでしまうと、お子さんの重荷となってしまいます。

子どもが両親の間の連絡役になると、父母の対立を一人で背負うことになります。

小さな背中に、大人の橋脚まで背負わせてはいけません。

必要なのは、子どもではなく、親同士、または第三者を介した安定した連絡ルートを作ることです。

メール、連絡アプリ、弁護士、調停条項、第三者機関などを利用し、子どもが親の対立の運び屋にならないようにする必要があります。

子どもに橋を背負わせるのではなく、大人が橋を設計し、お子さんが橋を行き来できるようにする。この視点が大切だと思っています。

つながりは常に良いものとは限らない

社会関係資本論というと、「人とのつながりは大切だ」という前向きな話に聞こえるかもしれません。

もちろん、相談できる人がいること、助けてくれる人がいること、信頼できるネットワークがあることは大切です。

しかし、つながりは常に良いものとは限りません。

残念ですが、家族や親族との強いつながりが、かえって人を縛ることがあります。

「こんな家の恥を外に出すわけにいかない」
「子ども、孫のために我慢しろ」
「夫婦のことは夫婦で解決しろ」
「親族に迷惑をかけるな」

このような言葉によって、DVやモラハラの被害者が相談しづらくなることがあります。

ここでいうDVとは、配偶者やパートナーからの暴力を指します。

身体的暴力だけでなく、精神的暴力、性的暴力、経済的支配、社会的隔離なども問題になります。

また、モラハラとは、法律上の明確な単一概念というより、一般には、暴言、人格否定、無視、威圧、過度な監視、支配などによって、相手の尊厳を傷つける行為を指します。

DVやモラハラがある場合、「夫婦で話し合えばよい」「信頼関係を回復すればよい」と考えるのは危険です。

このような場面では、つながりを回復するのではなく、危険なつながりから距離を取る必要があります。

社会関係資本には、人を支える面だけでなく、人を閉じ込める面もあります。

これを、負の社会関係資本と呼ぶことがあります。

家族、親族、地域、職場などの関係が、本人を守るのではなく、「逃げてはいけない」「黙っていろ」という圧力になる場合、それは負の社会関係資本として働きます。

だからこそ、DVやモラハラのケースでは、弁護士、配偶者暴力相談支援センター、警察、家庭裁判所、行政窓口など、外部のネットワークにつながることが重要です。

閉じた関係から外へ抜けるための橋が必要なのです。

負の関係で動けなくなってしまった錨を、そっと外すこともまた重要です。

私が相談をお聞きするときも、まず考えるのは、関係を整えるべきなのか、それとも切り離すべきなのか、という点です。事案によりけりです。依頼者様と一緒に航路を決めなくてはなりません。

社会関係資本といっても、良いものも悪いものもある。そこで、社会関係資本にはどのような種類があるのか、もう少し見てみます。

結束型社会関係資本と橋渡し型社会関係資本

社会関係資本には、大きく分けて、結束型社会関係資本橋渡し型社会関係資本があります。

結束型社会関係資本とは、家族、親しい友人、同じ集団の仲間など、内側の結びつきを強めるタイプのつながりです。

夫婦、親子、親族関係は、結束型に近い関係です。

結束型のつながりは、強い支えになります。

家族だから助け合える。

長年の友人関係だからこそ相談できる。
同じ経験を共有しているから分かり合える。

このような良い面があります。

しかし、閉じた関係になりすぎると、問題が外から見えにくくなります。

DV、モラハラ、経済的支配、子どもへの悪影響などがあっても、「家庭内の問題」として閉じ込められてしまうことがあります。

一方、橋渡し型社会関係資本とは、異なる集団や外部の人々とつながる関係です。

弁護士、家庭裁判所、調停委員、学校、行政、支援機関、カウンセラーなどとのつながりは、橋渡し型の役割を果たします。

離婚協議では、この橋渡し型社会関係資本が重要になります。

なぜなら、夫婦の内側だけで話し合おうとしても、すでに信頼が壊れ、言葉が攻撃として受け取られやすくなっているからです。

外部の第三者につながることは、閉塞感のある関係を外へ開くきっかけになります。

家族内という閉じた中で生じた対立を外に開き、制度的信頼を使って生活を再設計するための重要な手立てです。

閉じた水路で船が動けなくなったとき、必要なのは、同じ場所で櫂を振り回すことではありません。

外の流れにつなぐことです。

その外の流れが、弁護士であり、家庭裁判所であり、行政であり、支援機関である場合があります。

離婚は「関係の終了」ではなく「ネットワークの再設計」である

離婚によって、すべての社会関係が完全に断ち切れるわけではありません。少なくとも、子どもがいる場合には、断ち切るべきでもありません。

確かに、離婚は夫婦関係の終了を意味します。

しかし、子どもがいる場合、すべての関係がゼロになるわけではありません。

子ども。祖父母。
学校。保育園。
医療機関。
弁護士。
家庭裁判所。

離婚後も、さまざまな人や制度とのつながりは残ります。

社会関係資本論の観点から見ると、離婚は単に夫婦関係が終わる出来事ではありません。

家族ネットワークが、橋渡し型社会関係資本をも加えて、組み替えられる出来事です。

したがって、離婚後に必要なのは、元のように仲良くすることではありません。

子どもを中心に、必要な情報が流れること。
必要な費用が支払われること。
必要な判断が遅れないこと。
親同士の対立が子どもに直接流れ込まないこと。

これらを実現するために、連絡方法、面会交流のルール、養育費の支払い方法、学校や医療に関する情報共有の方法を設計する必要があります。

離婚協議とは、壊れた夫婦関係を元に戻す作業ではありません。

離婚後の生活ネットワークを設計し直す作業です。

ここで問われるのは、次のようなことです。

これからの生活をどう通すか。
子どもの日々をどう守るか。
必要な距離を取りながら、必要な連絡だけはどう残すか。

そのような、実践のための知恵です。

まさに、フロネーシスの出番です。

まとめ:信頼が壊れた後も、制度とつながりで生活は支えられる

離婚協議が進まない理由は、法律条件が難しいからだけではありません。

その背景には、夫婦の信頼インフラの崩壊があります。

相手の言葉が信じられない。
曖昧な発言が悪意に聞こえる。
自分ばかり損をしているように感じる。
子どもをめぐるやり取りが、親同士の対立に変わってしまう。

こうした問題は、法律だけでは十分に説明できません。

社会心理学や社会関係資本論の視点を入れることで、離婚協議がこじれる理由がより立体的に見えてきます。

大切なのは、壊れた人格的信頼を、無理に元に戻そうとしないことです。

相手をもう一度好きになる必要はありません。
相手を完全に信じ直す必要もありません。

必要なのは、制度的信頼を使って、生活が回る仕組みを作ることです。

公正証書。
調停調書。
弁護士。
家庭裁判所。
連絡ルール。
面会交流の具体化。
養育費の支払方法。
外部支援機関。

これらは、他人行儀の冷たい手続ではありません。信頼が壊れた後も、子どもと生活を守るための新しい支柱ととらえていただくと良いかと思います。

離婚は、夫婦という共同体の終わりです。

しかし、それは人生のネットワークがすべて断ち切られることを意味しません。

危険なつながりからは距離を取り、必要なつながりは制度で支え直す。
子どもを対立の橋にせず、大人が新しい連絡ルートを作る。
感情的な信頼ではなく、予測可能なルールで生活を守る。

離婚協議をそう捉えると、それは単なる争いではなく、壊れた信頼の後に生活を再設計する作業として見えてきます。

信頼が壊れた後にも、橋はかけ直せます。

ただし、その橋は、昔と同じ橋ではありません。

法律、制度、第三者、記録、連絡ルール。

そうした材料で作る、新しい橋です。

子どもと生活を守るためには、その橋を感情だけでなく、慎重な設計によって支えていく必要があります。

離婚協議のただ中にいるとき、目の前には濁った水面しか見えず、何も見通せないと感じるかと思います。

けれど、流れを見て、地図を見ながら、危ない浅瀬を避けるための目印を置くことはできます。

法律は、そのための道具です。先人たちが積み重ねてきた制度や実務の知恵を活用しながら、依頼者様と一緒に船を進めていきたいと考えています。

信頼が壊れた後の生活にも、進むべき航路はあります。

その航路を見つけるための澪標を、一つずつ立てていくこと。

離婚協議を考えるうえで、本当に必要なのは、そういう実践知なのだと思います。

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